言いたいことは完結に。

Compactly Completed Comics

東方より来たりし賢者の預言が、神の子の行く末を指し示す。

坂道のアポロン BONUS TRACK(10) (フラワーコミックスα)
小玉 ユキ(こだま ゆき)
坂道のアポロン(さかみちのあぽろん)
第10巻(BONUS TRACK)評価:★★★★(8点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

本当のラストエピソード、薫と千太郎、そして律子のその後は…?本編では語られなかった秘めた想い、地下室の楽器にまつわる切ない記憶、など、アポロンの深みを増す、番外編5編+かきおろしを収録!

簡潔完結感想文

  • 恋。自分の気持ちを一方的に伝えないのは相手を尊重しているから。
  • 過去。迎(むかえ)家の人々が将来の伴侶とどう出会ったのか物語。
  • 未来。君の生誕を心待ちにしている人たちが こんなにもいるんだよ。

去から現代、そして未来へと橋渡しするBONUS TRACKの 10巻。

番外編には気を付けなさい。
人気作に乗じた出版社側の金儲けの場合があるから。

『日々蝶々』はファンブックと内容を半々にしたものだったし、
『ひるなかの流星』は、本編と全く関係のない読切作品と抱き合わせ商法だった。

では本書の場合はどうかというと、満点です。
頭の尻尾まで ぎっしり あんこ の詰まった たい焼き です。

本筋が散漫になるから挿入しなかったエピソードの数々が、
この『BONUS TRACK』には収録されています。

個々の お話の完成度は もちろん高いものの、
この挿話を本編に入れたら物語のキレが落ちていただろう。
作者が大事にしてきたであろうテンポが確実に乱れる。

作者の頭の中で10考えていたことを、
3ぐらいにまで削ぎ落して、無駄な贅肉がない筋肉質な感じが とても好きだ。
漫画界のアスリート的な物語が私は好きみたいです。

その取捨選択のセンス、
そして美味しい所だけを贅沢に提供する心意気に心酔する。
こういう点で作者はクレバーで そして大人なのだと思う。


そんな中で構成上、本編に入れることは出来なかったが描きたかった
5つの物語を封じ込めたのが本書ではないか。

本編終了を嘆く読者に届いた まさに『BONUS TRACK』な作品たち。

本編の中で空白と余白の多い時間を埋めてくれるような物語。
最後の一口まで存分にご堪能あれ。


「TRACK 1」…
東京で生活を始めた百合香(ゆりか)と淳一(じゅんいち)のお話…。

大人の恋愛譚。
年長者として、また駆け落ちの主犯として淳一には罪の意識がある。

彼女が幸せを見つけたら、いつでも手を離せる準備をしていたのだろう。
だから将来の約束もしない。
そして それが百合香の不安と不満の種でもある。

『6巻』で登場した有田(ありた)も再登場。
その後の政治運動に巻き込まれたりしなければいいが…。

百合香は美術・デザイン系の仕事だから
『9巻』で薫と再会した時にザ・業界な感じのパーマだったのだろうか…。

冒頭と最後を結ぶ「散髪」のテーマが秀逸。
淳一のラストの台詞が良いですね。
まさか これがプロポーズの言葉⁉

「TRACK 2」…
千太郎(せんたろう)の弟・康太(こうた)が中学2年生の頃の話。

思春期真っただ中。
そして彼には ずっと好きだった女性がいる。

これは本編では読み取れなかった新情報である。
薫(かおる)は与り知らないだろうが、彼の真のライバルは
千太郎ではなく康太だったのかもしれない。

薫や律子(りつこ)は大学生の頃のお話でもある。
『9巻』で薫が律子にかけた電話に(勝手に)出た男の先輩が登場。
顔だけは良いですね。

薫は身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、と
自分の恋心を脇に置いて律子を擁護した康太に感謝しなければなりません。

律子は康太が自分のことを好いているなど夢にも思わないのかな。
それは千太郎が律子の気持ちに気づかなかったのと同じかもしれない。
近すぎると異性と意識しないのかも。

兄の千太郎と同じく、この世の不条理に触れた時、
気持ちを代弁するようにドラムを激しく叩く。
そこに没頭する喜びがあるらしい。

「TRACK 3」…
律子の父・迎 勉(むかえ つとむ)が高校生相当(?)の時のお話。

本編が1960年代なので、戦争や原爆の影響が まだ色濃いはずと思っていましたが、
今回の父親の話にて描かれています(原爆に触れるには少し距離があるか。)

父が高校生の千太郎、そして転校生で直接の関わりのない薫に、
大らかに場所を提供するな、と思っていた。

きっとそれは、彼自身が裕福な家庭の子に
楽器と場所を提供してもらって音楽に触れてきたからなんですね。

本編では律子の母は登場しなかったが、
明示されてはいないが きっと彼女で、そして既に この世にいないのだろう。

彼のベースは人生で出会った大事な2人から託された物。

父は飄々としていながらも数多くの別れを経験しているんですね。
是非、長生きしてほしいものです。

「TRACK 4」…
地元を飛び出し、行方不明となった千太郎の足跡の一つ。

場所は広島か岡山じゃろうか。
海、そして島が見えることが千太郎の原風景なのだろう。

言葉を介さないコミュニケーションを成立させるのが音楽。

千太郎を浮上させてくれたのは その人で、
その人を浮上させたのは千太郎という連環を感じる。

それは薫と千太郎の関係においても同じで、
『1巻』で身を すくめるばかりの薫を叱咤したのは千太郎で、
反対に『7巻』では弟妹に囲まれた千太郎の無意識の表情を薫は褒める。

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子供たちがいて、教会があって、海があって、坂がある。これが千太郎の4大元素。

きっと どちらも自分が そんな発言をしたことを忘れてしまっているような一言だが、
言われた当人には一生忘れられないような言葉なのだ。

間接的に支え支えられているのが人の交わりなのだろう。

その言葉がなければ、薫は千太郎と そしてジャズと交わらなかった。
同じように、千太郎も薫の言葉がなければ その道を選ばなかったかもしれない。


そう考えると本書の神の子である千太郎の未来を導いていくという点では、
薫の言葉は預言のようである。

そういえば薫は1話で東方(横須賀)から来たりし賢者(医学部合格の秀才)である。
これもまたキリスト教的なモチーフなのだろうか?

千太郎が子供たちとドラムセッションをするのが教会前なのも暗示的である。
雲間から光がさして、神の啓示を受けたのだろうか。

また彼が幼少期以来に髪を伸ばしているのは、
金銭的な問題か、それとも あるがままの自分を受け入れているからか。

そこで出会った子供も また独りである。
薫の時と同じように、独りの人間と千太郎は反響する何かを持っているのだろう。

「TRACK 5」…
本編最終回の後日譚。
千太郎の住まう島に久々にジャズメンバーが勢揃いするハレの日。

『9巻』本編のラストは物語の都合上もあり、淳一が参加してはいけなかったのですが、
今回はフルメンバーでのセッションが披露される。

なんと淳一と千太郎は、『6巻』の あの決闘 以来の再会。
お互い 話は人づてに聞いているだろうが、10年弱(?)ぶりに再会した。

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千太郎は着替えなくて正解だったかも。破顔一笑、気まずい空気は雲散霧消。

仕事があり家庭があるから、全員集合は年単位になってしまうのだろう。

それぞれの近況が語られ、
いよいよ次の世代まで生まれてくる時代になった。

百合香は地元に帰ってこられているみたいですね。
どちらのかは不明だが、実家に帰っており、完全に拒絶された関係ではないらしい。
それは淳一も同じ。
一度は捨てた地元、勘当された身だが、時が感情を丸くする。

薫もまた大きな変化を見せていた。
昨年には結婚式、そして もうすぐ新たな命も生まれる。

妊娠や子育て談は連載中に出産された作者の経験も反映されているのだろう。

律子のお腹に語り掛ける千太郎の言葉に涙腺が緩む。

内容そのものもそうだが、
一度は世を儚(はかな)んで絶望しかけた千太郎が、
人の世の楽しさや喜び、そして支える人たちがいることを語り掛けていることに感動する。

ムカエレコードの地下室から、日の差し込む明るい島の集会場へ舞台を移し、
約10年ぶりのセッションは始まる。

けれど何歳になっても、皆 満ち足りた顔で楽器を弾いている。

律子の父は数十年この楽器と歩んできたのだろう。
淳一・薫・千太郎はジャズと離れていた時期もあったが戻ってきた。

このシーンが読みたかった、その読者の要望を叶えてくれて本当に ありがとうございます。

「かきおろし」…
なんとなく薫の雰囲気と、千太郎の雰囲気を持つ2人の少年の出会い。
場所は島の集会所。

これは生まれてきた薫の息子だろうか。
いや、誰でもいい。
また人と人が出会い、音楽が、セッションが始まるのだ…。