言いたいことは完結に。

Compactly Completed Comics

坂道の上にある学校の 一番高い屋上で、僕は また天国に近づく。

坂道のアポロン(1) (フラワーコミックスα)
小玉 ユキ(こだま ゆき)
坂道のアポロン(さかみちのあぽろん)
第01巻評価:★★★★(8点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

1966年初夏、横須賀(よこすか)から地方の高校へ転入した薫(かおる)。幼い頃から転校の繰り返しで、薫にとって学校は苦しいだけの場所になっていた。ところが転入初日、とんでもない男と出会い、薫の高校生活が意外な方向へ変わり始め…!?
●収録作品/坂道のアポロン(1)/種男

簡潔完結感想文

  • 薫。転校生。強気な小心者。なりたい自分になるための努力は厭わない。
  • 千太郎。心優しき不良。薫の魂に強烈なビートを刻む。キリスト教徒。
  • 律子。千太郎の幼なじみ。本書のヒロインで潤滑油。薫の心の原動力。

うしよう あなたに出逢うまでの私を忘れちゃう 1巻。

ずっと未読のままだった作品。
アニメも未視聴ですが、OP・EDの曲は大好きな この作品。
(音楽が菅野よう子さんだったから手を取った)。
冒頭の一文も、YUKIさんが歌うOP『坂道のメロディ』から。

本書は作者にとって初の長期連載。
長編2作目『月影ベイベ』が、あまりにも素晴らしい作品なので、
遡ることによって作者の青さが露わになることを勝手に恐れていましたが、杞憂でした。

やっぱり作者は作家性の高い人だということを改めて感じた。

『月影』でも感じたが、映画のような作品である。
間の取り方とか、光の具合とか、切り取る一瞬など、
1ページの、いや1コマの密度が とんでもなく濃い。
台詞も素晴らしいが、それ以外に絵に込めた情報量の多さが、他の漫画を圧倒している。

感想文のために読み返していると色々な思いが頭に浮かぶ。

『1巻』はキリがないほど何度も立ち止まった。
登場人物に思いを馳せ、表情を読み取り、考察と解釈を重ねる、
やっぱり小玉作品は名画のようだと思った。
作品の懐が広い。
何度見ても新しい解釈や見方をもたらしてくれるだろう。
数年後、読み返した時に また違う読み方が出来ることを今から楽しみにしている。


書は純粋な恋愛漫画ではない。
友情・恋愛・音楽、その3要素が揃った青春漫画である。

私はこの「3」が本書の大きな要素であると思う。

主だった登場人物、薫(かおる)・千太郎(せんたろう)・律子(りつこ)、
この3人を結んでできる三角形が物語の中で常に形を変えている。

その三人の距離の総和はいつも一定であるように思えた。
ボンを中心として、どちらかと距離を近づければ どちらかと離れてしまう。

恋愛を巡る三角形であったり、友情であったり、
起こる問題は様々で、動き続けていることが作品に命を与えているような気がする。
停滞がないことは本書の大きな美点である。

薫と千太郎の関係性が、薫と律子のそれよりも濃くすら感じられる。
そういう漫画ではないが、愛憎という点では友情も恋愛も大差はないのかもしれない。

3人が結ぶトライアングルストーリー。
ラストでの3人の関係性は必見です。


台は1966年初夏の長崎。

主人公の西見 薫(にしみ かおる)は父の仕事の関係で 横須賀から引っ越してきた転校生。

ただでさえ注目を集める転校生という地位だが、
彼が地元の名士の甥っ子であることが注目度を更に高める。

七三分けの眼鏡の薫は優等生であるが、学校に馴染めない。
繰り返す転校で心にストレスを抱え、学校にいると吐き気を催す体質になってしまった。
一人、屋上で呼吸を整えることが彼の日課であった。

…と、こう書くと いかにも頭でっかちな神経質な人間のように思えるが、
薫の本質は そこにはない。

多分、本人も気づかない内に自分で仮面を被っていたことがストレスになったのだろう。

実は薫は結構、我が強い。

内心の動揺が顔に出ないが小心者であるのは確かだろう。
しかし物怖じしない性格でもある。

彼の心のバランスが崩れたのは、
自分を過小評価する癖がついてしまったからではないか。


そんな彼の吐き気が止まるのは、自分に優しいクラス委員の女生徒・迎 律子(むかえ りつこ)の前、
そして学校一の不良と名高い川渕 千太郎(かわぶち せんたろう)の前であった。

2人の前で吐き気が止まるのは、
自分の本心が出ているからではないか。

律子に対しては惚れやすい彼の恋情が吐き気を上回り、
そして千太郎に対しては光の中で出会った衝撃が吐き気を忘却させる。

それはケンカをする千太郎の漲る力を目の前にしても同様。
屋上に出たい薫のために動いてくれる(と思い込んで)千太郎に心を動かされる。

他者に心を動かされる、それは薫が久しくしていなかった経験だろう。
坂道さえ憎らしいほど馴染めない学校だが、
そこには これまでにないほどの光が差し込んでくるかもしれない。

見るからに真面目で堅物そうな薫だが、
惚れやすいし、女性との妄想も飛躍している点も面白い。
きっと自分で思っているよりも滑稽で独創的なのも彼の特徴だろう。


にとって この2人が特別なのは間違いなくて、
吐き気がしないのは運命の出会いだからと単純に解釈していた。

でも もしかして千太郎と律子の人としての在り方が特別なのかもしれない。

彼らの薫に接する態度に一切の欺瞞がないから、薫はそこに、
吐き気に繋がるような人の違和感を覚えないのではないか。

それは2人がキリスト教徒であることと関係しているだろうか。
隣人を愛せよ、それを自然と体現する2人だから薫に緊張が生まれない。


薫は この世界の異邦人ということもあるが、
きっと生来の勝気な性格もあって千太郎に強気に対応する。

それは在校生にとって異質に映るが、
薫の方に緊張がないことが、千太郎にとって心地が良いのだろう。

心に遮蔽物のない2人だからこそ、互いの中に光を感じるのかもしれない。

そうして千太郎によって新たな扉が開かれていく。
平穏無事だが何も得ない生活から、一歩足を踏み出す勇気を持つ。


それを象徴するのが屋上に雨に打たれる2人。

クラスメイトからの好奇の視線から逃げ出すため、
屋上に出たくて仕方なかった薫は、大雨の中、千太郎と屋上に出る。

やがて雨の中、傘を投げ出し自由奔放に本能のまま動く千太郎。

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雨に濡れないよう、人の悪意を感じないよう、いつも傘の下に隠れていた本当の自分。

呆気に取られた薫は、千太郎に雨を浴びるよう促されるが
強く拒絶し、振り回した傘で彼のことを傷つけてしまう。

「なんば怖がりよっとか 怖がっとったって なんもよかこと なかぞ」

傷にも平然としたまま、千太郎は薫に忠告をする。
結局、強引に傘を取られ2人は ずぶ濡れになるが、
馬鹿みたいな経験が薫に踏み出す勇気を与える。

そして これは人に対して排他的で、時に そうした態度で人を傷つけているのは
自分の方かもしれないという視点の変換になったのではないか。

濡れた制服から着替え、体操服でクラスの中にいても薫は動揺しない。
もう動かない、揺るがない「自分」を発見したから。


うして千太郎との友情がまず成立してから出会うのが、ジャズ。

薫にとってピアノは、仕事で不在がちな唯一の家族である父との絆。
ピアノを弾くことで父を近くに感じられた。

同居する伯母一家の家には所持していたよりも立派なグランドピアノがあるが、自由に弾けずにいた。
これも彼が呼吸を忘れ、息苦しさばかりを募らせた原因だろう。

律子の家の地下にあるピアノが父が持っていたアップライトのピアノに似ていることも運命的だろう。

ピアノが人生を支えてきた経験と自負と、
そして律子への想いが彼をジャズの世界に導く。

もちろん これは未知の領域に足を踏み出す勇気を千太郎がくれたからでもある。

学年一の成績を取るほど本来、負けず嫌いの彼はジャズを手懐けようと努力を重ねる。
授業中にも指を動かすほど彼の頭の中にジャズが鳴り響く。

そして そんな彼の姿を千太郎は認める。


太郎にとっても薫との出会いは印象的だっただろう。

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天使が降臨する この場面は、聖骸布に包まれた千太郎の再誕の瞬間でもあるのだろうか。

自分を眠りから覚ました薫を天使と見間違えたことから、
千太郎は彼に悪印象を持たないだろう。
キリスト教徒である千太郎が天使と見間違えることは聖の象徴であるだろう。

そして2話で明かされるが、その時の千太郎は夢でケンカをしていたらしい。
夢の中での千太郎は現実と違い弱く、死をも覚悟した。

その苦悩の中に現れたのが薫だった。
死からの復活となると初登場時に千太郎が包まっていたのは ますます「聖骸布」に見えてくる。

強いはずの千太郎が負ける夢を見るのは、彼の精神が弱っていたのだろうか。
お互い生きづらい現実から逃避する手段を考えて手を伸ばした先に相手がいたのかもしれない。


律子の言う「千太郎は本当は心の優しい いい子」というのが分かるのが、
クラスメイトによる薫リンチ事件。

よそ者でありながら目立ちすぎる薫をクラスメイトの一部は気に食わない。

ここで千太郎が助けに来るという、ある意味予想範囲内の展開なのだが、
千太郎は、リンチに遭っているのが薫だということを知らずに飛び込んで来る。

弱きを助け強きを挫く、この性格が千太郎の根本が見える。

身体を動かすことや暴力で気を晴らしている部分もあるだろうが、
もしかしたら千太郎のケンカの多くは悪を成敗しているのかもしれない。


この件では、薫も強さを見せる。
女性の前で奮闘する良い格好しい とも取れるが、
同じ男として千太郎に守られているばかりの自分では嫌なのだ。

眼鏡を取ったのは怪我の防止や戦闘態勢に入っただけではなく、
律子に対するアピールでもあるだろうが。

2人は どこまでも対等なのだ。
それが心地よい。

千太郎も薫のことを認め、彼のことをしっかり見ている。
名前も憶えられていない2つ前の席の男子生徒とは明確に違う。

だから人に対して「俺(おい)の友達」と言い切れる。


千太郎の咥える葉っぱは『ドカベン』の岩鬼を連想するが、
1966年当時に『ドカベン』は始まっていないから千太郎がオリジナルと言えるのか(笑)

目の下の十字傷は『るろうに剣心』の剣心を連想する。
傷が いつまでも消えないのは、傷をつけた者の恨みも消えていないからだろうか。
でも本編中で傷の由来などは全く出て来ません。
不良の記号でしょう。


に離れかねない男子2人を結び続けるのが律子。

クラス委員もしている面倒見のいい女性で、
派手ではないが器量も良いのだろう。

薫にとって長崎への転校の良いことの象徴のような人。

だから律子と千太郎が教会でミサを受けているのを見て薫はショックを受ける。
幼なじみという関係以上に立ち入れない2人の精神世界を見たからだろう。

千太郎が教室の席の後ろから薫の指の動きを見ていたように、
薫は律子の視線の動きで彼女の恋心を察する、のは この後の話。

千太郎とは友達であり音楽仲間でありライバル。
この3つの役割のバランスが今後の物語に大きく影響する。

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場面の切り取り方、カメラワークが素晴らしい。漫画から動きと律子の可憐さが溢れ出す。

「種男」…
アポロン』には読切短編が幾つか同居している。
本書から作者を知った人は驚くような作風だが、
アポロン』以前はファンタジーのような作品も多かった。

これ以前の作品は ほぼ読んでいるので、
作者は つくづく奇想の人だということを思い出した。

植物から生まれた「種男(たねお)」との同居生活。
きみはペット』っぽい美青年との同居だが、相手は喋りもしない。

しかし同居するモノがいることで、人目が出来て(何も思わないだろうが)、
仕事で荒み切っていた主人公の生活が改善される。

種は種に還っていくが、恋の実を結ぶ。
実が赤いのは、生まれゆく恋の象徴だろうか。